Adopting Resolution 2417 (2018)

The day the UN barred using hunger and starvation as weapons of war
Four years after the Security Council passed the landmark resolution 2417, World Food Programme Head of Emergencies Margot van der Velden explains why in a year of unprecedented hunger marking the anniversary is so important

https://www.wfp.org/system/404?_ga=2.164289469.349969590.1760843939-1388055160.1760843939

联合国禁止将饥饿与饿死作为战争武器之日

联合国安理会通过具有里程碑意义的第2417号决议四周年之际,联合国世界粮食计划署(WFP)紧急事务官员玛戈特·范德费尔登阐释了为何在这个空前饥荒之年纪念该决议通过日具有重要意义。

День, когда Организация Объединенных Наций запретила использование голода и смерти от голода в качестве оружия войны

Через четыре года после принятия Советом Безопасности ООН исторической резолюции 2417 Маргот ван дер Велден, координатор по чрезвычайным ситуациям Всемирной продовольственной программы ООН (ВПП), объясняет, почему важно отметить эту годовщину в этом беспрецедентном году голода.

国連が飢餓と餓死を戦争兵器として使用することを禁じた日


国連安全保障理事会が画期的な決議2417号を採択してから4年、WFP国連世界食糧計画(国連WFP)緊急事態担当官のマーゴット・ファン・デル・フェルデンは、この未曾有の飢餓の年に、この採択日を祝うことがなぜ重要なのかについて説明します。

https://ja.wfp.org/stories/day-un-barred-using-hunger-and-starvation-weapons-war

食権力の現代史」ナチス「飢餓計画」とその水脈なぜ、権力は飢えさせるのか?

藤原辰史 著

*人文書院HPより

飢餓という暴力の歴史をたどる 

—–史上最大の殺人計画「飢餓計画フンガープラン」。ソ連の住民3000万人の餓死を目標としたこのナチスの計画は、どこから来てどこへ向かったのか。その世界史的探究の果てに、著者は、「飢餓計画」と現代世界の飢餓を結ぶ重要人物を探り当てる。飢餓を終えられない現代社会の根源を探る画期的歴史論考。

飢餓は発見後に実在化したのではない。飢餓それ自体が、依然として、問題化と非問題化のあらそいの場なのだ。ナチスの飢餓もイスラエルの飢餓もソ連の飢餓もそれは変わらない。では、この飢餓を再び自然化する力の源とはなにか─ 本書は、このような問いから始まる。(…)飢餓は人を平等に殺さない。ここに介入するのは自然というよりは、社会であり制度であり政治である。「序章」より

第一次大戦から第二次大戦を経て、イスラエルのガザの虐殺までの現代史を、食を通じた権力の歴史、そして「施設化」した飢餓の歴史として描く!https://www.jimbunshoin.co.jp/book/b10134681.html

以下抜粋

 ・・・イスラエルは「ロシア・ユダヤ人が作った国」である。さきほどの独立宣言を読み上げた初代首相ダヴィッド・ベン=グリオンも現在のポーランド中部の小都市プウォンスク出身、第二代首相のモシェ・シャレットも現在のウクライナの黒海沿いにある港湾都市へルソン出身、第三代首相のレヴィ・エシュコルもウクライナのキーウ(キエフ)近郊の小さな町で生まれ、第四代首相のゴルディ・マイアーソン(一九五六年に外務大臣就任中にヘブライ語風のメイアに姓を改めた。以下、本文の表記はゴルダ・メイアで統一)もキーウ出身だ。すべて当時はロシア帝国の領土の一部、その多くは世界有数の肥沃な黒土チェルノーゼムの総量のうち三〇%を占める穀倉地帯に近接、またはその輸送ルートに位置する。・・・一九四三年に世界ユダヤ人会議が作成したナチスの飢餓政策の報告書の冒頭には、はっきりと「飢餓という武器」と記してあった(第3章)。・・・「飢餓という武器」は、兵士だけでなく、女性や老人や子どもを含めた「敵」全体を追放し、弱らせ、殺し、出生率を下げ、未来の人口を減らし、集団として消滅させる。

抜粋ここまで。

 水や食料が不足したために人が命を落とすことを飢餓と言い、人間のその状態を餓鬼と日本語(仏教用語)ではいっている。

 人を飢えさせないことが、国としての最低限の役割のはずで、自国以外の人間を自国の利益の為に飢えさせてはならないと国連採決でも一致している。

 問題は、それを守らない国があるときにどうするのかということに尽きるのだろう。貿易などで、食料や水などを買い占めるという行為についてはどう考えればいいのだろう。

 あるいは、アフガニスタンやウクライナで使われた劣化ウラン弾のように、大地を有毒物質で汚染させてしまう行為についてはどう考えればいいのだろうか。陸地だけなく海洋や大気を汚してしまうのは、長期的な飢餓に繋がりはしないだろうか。だからといって工場で大量生産する科学的な物質を食料と呼べるだろうか。カロリーの質やたんぱく質の質はどうでもよく、腹さえ膨れればそれでいいのだろうか。

「弱らせ、殺し、出生率を下げ、未来の人口を減らし、集団として消滅させる。」このうち、どの部分にこの国は当てはまるだろうか。

自然から切り離されたリダクショニズムの栄養補給と社会政策

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